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大阪なんでもジャーナル その2 禁断の聖地 準備編

大阪なんでもジャーナリスト安田龍二です。

大阪市民ならず府外からの観光客も寄り付かない禁断の聖地 あいりん地区に行って参りました。

どこやねんそこと思う方もいらっしゃるでしょうが、簡単に説明すると




日雇い労働者が集う町



そして数々の問題を起こしている問題児



西成暴動(ジハード)が1961年から開始され2008年まで第24次にも及ぶ暴動が有り、大阪の中でもいや日本の中でも異彩を放つ場所として有名。





第1次暴動(1961年8月1日-8月5日)



日雇い労働者がタクシーに轢かれた交通事故の処理を巡って発生した暴動。最初の西成暴動である。





第2次暴動(1963年5月17日-5月19日)



夜間作業の求人が意外に少なかったことに端を発する暴動。





第3次暴動(1963年12月31日-1964年1月5日)



求人が思ったよりも少なかった事に端を発する暴動。




第4次暴動(1966年3月15日)



立ち飲み屋の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。




第5次暴動(1966年5月28日-5月30日)



火事の現場にいた野次馬が暴徒化した事件。



第6次暴動(1966年6月21日-6月23日)



パチンコ屋の店員と日雇い労働者が喧嘩したことに端を発する暴動。



第7次暴動(1966年8月26日)



果物屋でのトラブルに端を発する暴動。



第8次暴動(1967年6月2日-6月8日)



飲食店で支払った代金を巡るトラブルに端を発する暴動。店の備品のほとんどを破壊した。




第9次暴動(1970年12月30日)



年末で求人が激減したことに端を発する暴動。ちなみに新左翼活動家による越年闘争が始まるのは、この後からである。

第10次暴動(1971年5月25日-5月30日)



夜間作業の求人に来ていた業者とのトラブルに端を発する暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。


第11次暴動(1971年6月13日-6月17日)



簡易宿所の管理人が玄関に寝ていた日雇い労働者をどかそうとしたことに端を発する暴動。


第12次暴動(1971年9月11日-9月15日)



果物屋の店員が酔っ払っていた日雇い労働者を転倒させたことに端を発する暴動。果物屋が焼打ちされた。




第13次暴動(1972年5月1日-5月2日)




釜ヶ崎メーデーで逮捕された容疑者の釈放を求めた暴動。新左翼活動家がこの暴動に介入し騒ぎを大きくした。


第14次暴動(1972年5月28日-5月31日)



労働組合員と手配師との喧嘩に端を発する暴動。



第15次暴動(1972年6月28日-7月3日)




第14次暴動の検挙者の釈放を求めた新左翼活動家とそれに煽動された日雇い労働者による暴動。


第16次暴動(1972年8月13日-8月16日)



釜ヶ崎共闘会議(釜共闘)と右翼団体とのトラブルに端を発する暴動。



第17次暴動(1972年9月11日-9月15日)



新装開店したパチンコ屋が、機械の故障でただちに閉店したことに端を発する暴動。



第18次暴動(1972年10月3日-10月4日)



病院職員と日雇い労働者とのトラブルに端を発する暴動。



第19次暴動(1972年10月10日-10月11日)




釜共闘と手配師とのトラブルに端を発する暴動。




第20次暴動(1973年4月30日-5月1日)



ゴールデンウィーク中の求人減に不満を抱く日雇い労働者が釜共闘に煽動されて起こした暴動。


第21次暴動(1973年6月14日-6月30日)



酔っ払い同士の喧嘩に端を発する暴動。



第22次暴動(1990年10月2日-10月7日)




あいりん地区を管轄する大阪府警西成警察署の署員が、暴力団から賄賂を貰った事が発覚したことに端を発する暴動。


第23次暴動(1992年10月1日-10月3日)



大阪市が行っていた資金貸付を、資金が尽きたことを理由に中止したことに端を発する暴動。



第24次暴動(2008年6月13日-6月17日)



飲食店の支払いを巡るトラブルで、日雇い労働者が警察に連行されたことに端を発する暴動。








24次もの暴動が起こり尋常ではない。

突撃編へと続く











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